虚構の光で満たす設計
日光東照宮が太陽をシンボルとした実体であるのに対して、桂離宮は月をシンボルとした虚構だという対比があります。
太陽の反射光に過ぎないという月の虚構性。いかにも日本人好きのする世界観です。
この対比は金閣と銀閣にもあります。日本の為政者、権威者の作った建築にはたいていこの日本人的な死生観、そして虚構と幻幽の世界表現の痕跡がある。移ろいゆく物の哀れ、夜毎に立ち現われるこの感性のやり場を求めて人の心はさまよい続けてきたのです。
さて現代の家、、、、、ではこんな気持ちになれませんね。こんな気持ちにたまにはなりたいと思っても今の家では無理。何故って、夜の闇と虚構の光−月−これがないから無理なんです。住居が工業的生産物になってしまったことが虚構性が排除された原因のひとつでもありましょう。
今、世の中は実体ばかりを重んじて、虚構を排除する方向に進んでいます。だから人は闇を嫌うようになった。生死の問題から目をそむけるようになった。夜が必要なくなってしまったのです。
せっかく夜は暗いのだからその闇に対峙し、深く人間らしい思索の果てに、虚構の月の光にしばし助けを求める。夜の闇を受け入れ、月の虚構の光で満たすことの出来る家が本当は必要なのだと私は思います。
でもあまり深く追い詰めてはいけません。月は人を狂人にする力もあるそうですから。
- 2008/06/23(月) 08:33:34|
- 2008年6月
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0